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![]() 幸せや不幸せの源を探して、世界六六億の人間が、水の流れるごとく、今日も、今日も、と暮らしています。 でも、いったい、何を為さんとしているのでしょうか……。 人間は誰一人として不幸にはなりたくない、みんな幸せになりたいのです。なのに、この世では多くの人々が、うち続く苦難、病気、貧乏にあえいでいます。 では、何故、不幸や災難に遭うのでしょうか。その根元はどこにあるのでしょうか。 宗教家である私が、97歳まで生きてきて、思うことがあります。 宗教を学び信じるということは、病気を治すことなどが目的ではありません。宗教教育の目的は、自己の尊さに目覚め、立派な人間を創ることにあります。 なお信仰によって病気を治すとすれば、仏様の加護を仰ぎ、病源がどこにあるのかを察知して、その原因を取り除くことによって、病気が平癒するということです。 それは「浄」という文字に象徴されると思うに至りました。 「浄心、浄霊、浄血」を守る生活を 私は、大平洋戦争に出征しましたが、戦地から戻ってすぐに出家。高野山など種々の宗教教義や数多くの浄霊の方法を学んだのちに、「浄心、浄霊、浄血」という考え方に至りました。 浄心……弘法大師の教えを学び、守ること 浄霊……悪霊を見つけ、お祓いすること 浄血……血液をサラサラにする食事を摂ること 中でも霊障の苦しみをもつ人が、思いのほか多くおられることがわかりました。 しかし、いくら熱心に浄霊をしたくても、毎日お寺に来ることができない人がほとんどでした。 そこで、サッと、毎日、自分でできる浄霊の方法はないかと考えていました。 友だちの出世を、仲間の成功を素直に喜べない……、隣家の火事に心から涙を流すことができないのは、自分の心の中にも悪霊が住んでいるということです。 この面倒な、自分の心の中の悪霊を退散させることができる「浄」を込めたのが『天照大神の厄除けお守り鏡』です。 かつて弘法大師は、「虚空蔵求聞持法」というご真言を百日にわたって、百万回唱えるという厳しい修行によって智恵を得られました。 私たちは『天照大神厄除けお守り鏡』によって、弘法大師の智恵のみならず、天照大御神に象徴される天地宇宙のエネルギーと神仏の智慧を得ることができるのです。 祈祷の前に、まずは自分でお祓いを! しかし、簡単な浄霊といえども、 1、安全でなければならない 2、完全に浄霊されなければならない 3、侵入霊には、納得して退散してもらわねばならない 4、誰にでもできる方法でなければならない ということから、 1、『天照大神厄除けお守り鏡』を使う 2、「写仏」により自分の霊格を高める などを、お伝えできるようになりました。 天照大神のお守りである『天照大神厄除けお守り鏡』は、天照大神の御霊を入魂してあります。 ですから、痛むところを照らし「天照らす鏡にうつる悪霊は 一目散に逃げて消え去る」という真言を唱え、言霊を発しつつお祓いをすると、悪霊や悪魔はたちまち逃げ去ります。 すると痛みは消え去り、健全なる心と身体を維持することができるのです。 子どもの問題も山積みですが、『天照大神厄除けお守り鏡』を役立ててください。 鏡で子どもを照らすことで、子どもが背負って生まれて来た「悪因縁」が照らし出される……。これを、氷解させ、断ち切り「霊障」を取り除くことから始めましょう。 学校に行かない子どもが行き始めた……などということは、その子のまわりや、その子の中にあった、憎む心、妬む心、蔑む気持ち、できない、ダメだ、などのマイナスな心が退散したためと考えられます。 神さまから預かった鏡です。病院に行っても治らない、祈祷師に頼もう、という前に、まず『天照大神の厄除けお守り鏡』で、頭や身体を照らしていただきたいのです。 きっと元気に生きるための活力がわいてくることでしょう。 千佛寺では、毎月の法要の日はもちろんのこと、毎日の祈りのなかで、また、絵画教室で仏画に向き合い、描き、祈っております。また折にふれて、お寺を訪れてくださるみなさんといっしょに、すべての『天照大神厄除けお守鏡』の働きを祈り続けております。 |
![]() 山口県の西、瀬戸内側の周防灘に面した宇部市の、山の寺「千佛寺」は、97歳まで元気に活躍した初代・隅井妙典和尚建立の寺。現在も、数万坪の敷地の中の山を背に、幾つもの伽藍が並び、湧き水を抱き、2代目高木和尚が手ほどきをする絵画教室も賑わっています。 生前の和尚は97歳まで、宗教家としてのみならず、画家、華道家、陶芸家、吟道の師、発明家として活躍。この隅井和尚が開発したのが『天照大神厄除けお守り鏡』です。 |
![]() 大正3年、広島県山県郡千代田町で2男4女の末っ子として生まれた和尚。「人間には、信心が何より第一だよ」という母親につれられて、幼いころからお寺詣りをしており、そのときのお説教が、隅井和尚の人生を決めることになりました。 お説教の主は、明治の中ごろ、お寺を建立するときの建築資材を運び、遠く京都から背中にお経本を乗せて、引いた牛の生まれ代わりだったのです……。証拠にと、牛のように長い黒い舌を見せられ、当時、10歳だった和尚は輪廻転生を体感し、「いずれ自分も僧になり、寺を建立する」ことを人生の目標にしていました。 |
![]() 隅井和尚は大平洋戦争に出征ますが、戦地から戻ってすぐに出家。高野山など種々の宗教教義や数多くの浄霊の方法を学んだのちに、「浄心、浄霊、浄血」という考え方に至りました。 浄心……弘法大師の教えを学び、守ること 浄霊……悪霊を見つけ、お祓いすること 浄血……血液をサラサラにする食事を摂ること 中でも霊障の苦しみをもつ人が、思いのほか多くおられることがわかりました。しかし、いくら熱心に浄霊をしたくても、毎日お寺に来ることができない人がほとんどでした。そこで、サッと、毎日、自分でできる浄霊の方法はないかと考えていました。 |